忍者ブログ
この不景気でなるべくお金を使わないようにする為の情報をクルマニアがお届け
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



これすごいです!ブサメンの俺でも1ヶ月で彼女が出来ました

彼女がどうしても欲しかった俺が使った無料アイテム


 装飾品として数千年の歴史を持つとされるピアスは、21世紀に入っても、耳から落ちやすいという女性の悩みを解決できずにいた。クリスメラの菊永英里社長は、自らが彼氏からもらったピアスを紛失した苦い経験を糧に、ピアスが落ちにくい留め具を世に送り出し、女性たちの心をしっかりとつかんでいる。

 「ピアス紛失に対するケアはあったが、決定的な解決法はなかった。そこにビジネスチャンスがあると確信した」

 ◆彼氏とのけんか契機

 菊永さんは24歳のとき、付き合っていた彼氏からもらったピアスをなくし、けんかになった。「ガサツだからなくすんだ」と厳しくなじられた。菊永さんは「ピアスはなくなりやすいもの。私のせいじゃない」と言い返したが、彼氏の怒りは収まらなかった。

 「ピアスを留める部分を改良すればなくさないはず」。菊永さんは「今度からはピアスをなくさないように努力しよう」という当たり前の反省に終わるのではなく、女性たちの悩みを解決する画期的な方法を見つけ出そうと動き出した。

 最初にピアスを落ちにくくする商品を売っている店があるかどうか、いくつもの宝飾店を探してみたがほとんどの店で見当たらない。当時あった方法は、板バネ式のキャッチやシリコン素材だが、これらは使っているうちに固定力が落ちてしまうという難点があった。「ニーズはある。自分で作れば売れるかも」と商品の図面を引き始めた。

 幼少期から英国や豪州での生活が長く、海外でハードワークをこなす銀行員だった父の背中を見て育った。日本で就職して、キャリアと育児を両立するのは大変な努力が必要で、「自分には到底できない」と諦めた。それを実現するには、「起業するしかない」と心に決め、16歳から父に事業計画書を出して、自分がビジネスを立ち上げることができるかどうかを問い続けた。

 大学卒業後、ビジネスを学ぶつもりで入社したITベンチャーでの仕事も楽しくなり、いつしか起業への熱意は落ち着き始めていた時期だった。そんなときに起こったピアス紛失事件は、忘れかけていた起業への情熱を呼び起こした。

 ピアス紛失で彼氏との恋愛は危機に陥ったが、「とんでもないビジネスチャンス」のように思えた。「ピアスを落ちにくくするキャッチのアイデアはまだ誰も手を付けていない。ライバルも少ない」。ITや人材ビジネスは資本力がものを言う。「個で勝負するには勝ち目がない」。「ピアスキャッチ」のアイデアは、これまで描いてきたどの事業計画よりも輝いて見えた。

 ◆ネット通販でブーム

 いざビジネスを立ち上げたものの、簡単に軌道に乗るわけではなかった。「最初の3年間はまったく売れなかった」。技術力の高い工場と協力して開発した商品力には自信があったが、5000円で売り出したため、ピアス本体の価格を上回る場合もある。コスト力が弱いのが問題だった。宝飾店からは「誰が買うんだ」という声も漏れた。

 しかし、「ユーザーは欲しいと思っているはず」という菊永さんの思いは揺るがない。コスト力を付けて、価格を下げる一方で、販売網もてこ入れした。店舗での販売はスロースタートだったが、インターネットの通販でブームの火が付く。大手IT起業で経験を積み、宝石のネットショップで起業した経営者が「面白い。売れないわけない」と太鼓判を押す。販売個数は倍々ゲームで増えた。

 「工場やショップの方々に思いを伝えたとき、人数は少なかったけど、素晴らしい人たちに共感してもらえた」。ピアスの彼氏とは別れたが、新たに出会った男性と結婚し、子育てのために岡山県倉敷市に本拠を移した。米国を振り出しに世界への普及を目指し、夫婦二人三脚で頑張っている。(小島清利)

                  ◇

 ≪Q&A≫帰国子女救った父の言葉

 --子供時代から活発だったか

 「中3の受験のときに日本に帰国したが、塾に通うために必要な電車通学が怖くてできなかった。15歳で電車に乗れない人がこの日本に何人いるかを考えたとき、みんなと同じように就職したり、専業主婦になったりすることはできないと思った」

 --今でも、電車に乗るのは難しいですか

 「いまでは、乗車も乗り換えも自由自在だが、そのときは、どうしても電車に頑張って乗れるようになろうとは考えられなかった。それよりも、電車に乗らなくても済むような会社の社長になりたいと考えた」

 --親はどういう反応だったか

 「子供も産みたいし、働き続けたい。当時は10代だったので、社長なら産休中に人を雇いながら、会社を回せるんじゃないかとまじめに考えた。電車に乗れなくて、泣いて帰る娘が『社長になるって決めたんだ』と話せば、鼻で笑われると思っていたが、寡黙な父は否定も肯定もせず、『そう』とひと言だけいわれた。高校に入学してからも学校生活になじめず、ストレスを感じることが多かった。就職して、自立していくイメージがわかず、『このまま生きていけないかもしれない』と父に本気で相談すると、『大丈夫だよ。君はやること見つけたら、やるよ』といわれて、不思議に『ああ、そうなんだ』と救われた気持ちになった」

カレンダー
11 2025/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
プロフィール
HN:
クルマニア
性別:
非公開
最新コメント
バーコード
ブログ内検索
ATOM  
ATOM 
RSS  
RSS 
Copyright ©   大阪で軽自動車の車検や車の査定ってどうしてる?   All Rights Reserved
Design by MMIT / TemplateB3  Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]